2011年3月23日水曜日

【募集は終了しました】被災地に送る医薬品の仕分けボランティアの募集情報

今回の活動につきましては、一区切りが付き終了いたしました。
下記のボランティアに応募いただきました方、本当にどうもありがとうございました。

埼玉県立大学を集積地として、被災地に送る医薬品の仕分けボランティアの募集情報を頂きましたので掲載します。
ご関心のある方は、私宛(yoshidaa@me.com)か、直接一番最後に記載されています、吉岡優子様宛(yuko@bc4.so-net.ne.jp)にご連絡下さい。
また、周りの方にもアナウンスしていただければと思います。

<依頼メール>
医薬品仕分けボランティアの御願い(要約)
本日、日本医科大学の時にお世話になった村田正弘先生が尽力されている
日本ジェネリック医薬品学会の医薬品集積地のお手伝いをしてきました。
本日発足したのですが、集まれたのは75歳の村田先生と、私を含めた50代の
おばちゃん薬剤師3人でした。
勤務薬剤師、薬科大学の学生等、なかなか集めるのが難しく、また、市薬、県薬などの組織になると、日薬の指示がないと…というふうで、組織に頼むのは難しい状況のようです。

そこで、個人で動いてくれる人を捜しているのですが、組織に属していない薬剤師OB等で、この1〜2週間くらい動ける人(1日だけでもOK)を捜しています。
条件は「基地に自転車または車で来れる人」となっていますが、私は電車で行きましたので、来れる人で良いと思います。
東武伊勢佐木線 せんげん台駅下車 バス5分 あるいは徒歩20分です。
今動けるのは、薬剤師OBかなと思っております。
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交替制をとり常時は1-2人 6時間位の連続駐在。
男女は問いませんが、積荷の手伝い等ある程度の体力が必要
医薬品に詳しくなくていいですが、ある程度の知識を望みます(大学院生)
  場所は外環川口、浦和、岩槻インターより車で約10分以内、東部伊勢崎線
せんげん台近くです。知人の方を含め伝達、ご協力ください。
県立大学住所:〒343−8540
埼玉県越谷市三野宮820番地
埼玉県立大学キャンパス北棟101看護学科演習室
日本ジェネリック医薬品学会 災害地向け無償提供医薬品臨時集積地

なおこの会は学会が主となっていますがすでにセルフメディケーション
推進協議会、医薬品相互作用研究会その他連携して行動しています。

日本ジェネリック医薬品学会理事 災害対策委員会責任者 村田 正弘
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ネオフィスト研究所
153-0063東京都目黒区目黒1-6-23
TEL03-6303-9031
吉岡 ゆうこ
yuko@bc4.so-net.ne.jp
http://www.neophist.co.jp/
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2009年11月4日水曜日

大学の役割(その1)

大学の役割としての
1.人材の育成
2.知の創出
3.創出した知の社会への還元
この3点について、日頃考えていることをまとめてみた。

もちろんいずれの役割も大学内のみで完結できるものではないが、大学が大きな役割を果たすものである。またこれら3つの役割は相互に関連し合っており、社会との関わりも含めながら全体として最終的には議論すべきものであろう。一応そういったことは念頭に置いた上で以下にコメントさせていただく。

まず大学の重要な役割である将来を担う人材の育成のシステムについて考えを述べさせていただく。学生の将来の社会の担い手としての位置づけと、現在の研究を支えている労働力としての位置づけの両方をにらんでの提言です。(書き終わったら結局めちゃめちゃ長くなってしまいすみません)

人材育成についてはどこでの議論もいつも熱心な意見が飛び交う。しかし大学人が議論する際に念頭にあるのは、多くの場合アカデミアでの自分たちの後継者、あるいは自分たちを支えてくれる優秀な若手研究者のことを言っているような印象をうける。独創的な人材、国際的な人材、融合分野を切り開くことができる人材などであるが、大学と産業界などの間ではこうした人材に求める質も量も異なっているように思えるが、全て一緒くた、あるいはアカデミアからだけの視点で、求める人材像を描いているのではないか。

また、育成したいと描いている人材像は優秀な人材の話に終始しているようにも思われる。少し待てよと言いたい。そうした議論でイメージされているのは全体の10%、いや1%のトップ人材の話ではないだろうか?

大学が預かり育成すべき学生は、様々なレベルの能力を有するかなり多様な集団であることをもう一度考える必要があると思う。机上の議論で取り上げられている育成すべき人材とは異なり、90%あるいは99%の学生は社会に出てもっと別の多様な役割を担う人材ではないだろうか?社会は大学にそうした90%以上の学生の人材育成を大きく期待している、あるいは期待していたのではないだろうか。

大学を出た人の多くは企業に就職するが、その大多数のことを考えたカリキュラムが弱いのではないかと産業界からは指摘されている。そうした視点の教育を強化する必要があり、そのためには産学の連携は研究だけではなくて人材育成にも非常に重要になる、というものだ。大多数の学生を対象とする産業界の求める人材をふまえたカリキュラムの作成が要請されている。

大学側は今育成している人材にどういった社会の需要があり、優秀な者から劣る者まで多様な人材がどう社会に出て行くのかと言うことをこれまで適切に見積もれてきたのだろうか?ポスドク問題の現状をみれば、答えは否ということになる。

これまでの議論でよくある意見として、大学院を出た専門的人材を「もっと企業が受け入れるべきだ」、要するに社会の側が変わらなければならないという主張がある。社会が知識創造社会に変わるべきだといったような主張は(異論はあるだろうが)結構だと思う。しかし、社会自体の変革は進んでいない。求める人材もそうであるし、社会自体の流動性と言ったものもそうだが、そうした変革がまだ進んでいないのである。

変革に伴い専門的な人材が多く求められるようになれば、それに対応できる人材を多く輩出することが大学に自然と求められてくるのだが、今はまだそうではない(と思う)。社会が求める高度専門人材は、現実には今の供給量に見合うほどは無いと考えるのが妥当であろう。ミスマッチングの問題があるにせよ。

大学側が先行して高度専門人材を量産して、それを人質に社会に変革を迫っているのだろうか。いやそうでもないように私には感じられる。多くの場合、大学院生を増やしたいという考えの元には、個々の研究室の労働力を維持、強化したいという考えが大学側にあるのは事実だろう。競争的資金を獲得することが死活問題となってきており、短期的な評価にさらされている研究現場であれば当然そのような要求は強くなる。

そうした状況の中では、学生の教育についても短期的な評価にそった研究活動の中で進められることになり、長期的な発想や学生の独創的な発想を試してみる等といったことが、やはりどうしても疎かになってしまう。もちろん、直接研究とは関係のない社会リテラシーの習得や科学コミュニケーションへの参加などと言う機会は阻まれる傾向になる。

こうした専門人材の過剰供給問題(ポスドク問題も含む)や多様な人材育成の不備といった、人材育成に関わる量と質の問題の解決のためにも、研究支援人材のポジション充実を強く訴えたい。研究支援人材のポジションを充実させることにより、社会が求める専門的人材の規模に合わせて学生数を縮小させることが望ましい。そうすることによって今後も放っておくと生じるであろう専門人材の過剰供給を抑制することができ、また研究支援人材として専門性を身につけたポスドクのキャリアパスの幅を拡大することが出来る。

さらに、競争的資金制度の中での短期的評価から少しでも学生の研究教育指導を切り離すことが可能となるのではないか。そのなかで多様な人材育成の機会が増しそのような人材が育ってくれば、社会としても専門的人材をより受け入れる方向に変化することが期待される。本当に企業や社会の活動に有益な専門的人材であれば、需要は要請しなくても自然と拡大するはずであり、それに従い人材養成の枠を拡大していくのが適切であるように思う。

研究支援人材には実験のサポートだけではなく、事務的な処理から、研究室や大学、あるいは学会や国の政策レベルまでの様々な段階でのマネージメントに関わる仕事、社会とのコミュニケーションに関わる仕事等が期待される。こうした研究支援ポジションの拡充により一番大きな効果をもたらすのは、PIの雑務からの開放であると考えている。その結果、研究に専念し良い成果を出してもらいたい。今のPIは、あまりにも疲弊しているように思います。これは研究の生産性の低下だけではなく、次世代の若手の意欲をそぐ大きな原因にもなっている。

これまでの多くの議論に見られるトップサイエンティスト輩出を狙っただけの方策では、結局のところ様々なところに破綻を来している。極論すればPIの数を減らしてでも研究支援人材の拡充をすることが、システム全体としてより正常で適切なものとなっていくと考えています。そうした適正化により社会からより必要性が認められるようになって始めて、大学に関わる予算の全体のパイを大きく拡大することが出来るのではないだろうか。

逆に言うと、今のままの枠組みで単に予算拡大を行うのは歪みを大きくするだけかもしれない。


次回は、「知の創出」に関連してコメントを書く予定です。提言するところまで行きません。実は良い考えが浮かばないので。

2009年10月27日火曜日

気軽なサイトとして

Twitterを使い出して思ったのだけど、簡単なコメントなどを書き出したら、「多次元脳空間」とは毛色の違うサイトも必要だなと思ったので、こちらも新しく作ることにしました。
といっても本家があまり更新できずにいるのは心苦しいのですが。

字数制限のあるTwitterだと説明困難なことも多く、議論に持って行くのも難しいので、こちらを参照すると言った使い方も考えています。

いずれにしてもこちらは更に個人的で、あまり整理できていない四方山話に使う予定ですのでよろしく。